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2020年1月12日日曜日

「徒然草」が令和時代でも役立ちすぎてヤバい。と、思った話。

今更ではありますが、
徒然草、っていう有名な日本古典文学にはありましてね。
ちょっと、とあるテレビ番組で
「江戸時代には嫁入り道具にもなった」と
紹介されてたこともあって
久々に図書館で借りて読んでみたんですよ。
(NHKの「ねこねこ日本史」って知ってる?)

ということで、
個人的に印象のある話の紹介。(あと、読書感想文的な内容)です。
御興味のある方、お付き合いのほどを~。



拝読した本は
「新版 徒然草(現代語訳付き)」
角川文庫で訳註は小川剛生氏です。 

「72段」の
 色々と、物がゴチャゴチャしているのは下品な感じがする。
 但し、文車の書籍とゴミ捨て場のゴミは除く。

「73段」の
  世間に語り伝えられている話の多くは、
 事実ばかりでは面白みが欠けているせいか、
 多くはみな創り話である。
  立派なひとは、怪しい事は口にしないものである。

といった、現代日本でも通じるような人生訓が
ゴロゴロ(失言)しております。

 中でも、個人的に印象深い記事が

「211段」の「物事をアテにするな」と、
「231段」の
「何かをしてあげる時に恩着せがましく言うのは野暮だ」という話です。

ちなみに、
「211段」をもう少し詳しく言いますと、

「よろづのことは頼むべからず。
深くモノを頼むゆゑに、恨み怒ることあり。」
つまり、
物事をアテにしてはいけない、ということなのですが。

・権勢をアテにするな
・資産をアテにするな
・才能をアテにするな
というところから、
「寵愛されていても~」「家来(現代だと部下?手下?)がいても」
「約束を~」と例が続くわけですよ。

で、結論としては
「頼らなければ、物事が上手くいったら、もーけもん。
上手くいかなくっても誰も恨まない。
前後左右に余裕があれば物に遮られないし、行き詰まることもない。
ゆったり、寛容だったら心身が傷つくことない」

だ、そうです。

「231段」では「大方、ふるまひて興あるよりも、
興なくてやすらかなるが、まさりたることなり。」
という文が有りまして。
手が込んでいて面白いのより、面白くは無くても質朴な方が
まさっているものである。
物をあげる時も、わざと惜しむふりをするのは嫌味だ。
と言った主旨があるわけです。

恩着せがましく言われるのは、たしかに鬱陶しい。

他にも、
人付き合いでのノウハウや、
コミュニケーションに役立ちそうなこと、
「シンプルで豊かな生活」のすすめもありますよ。
(↑第81段も面白いものです。)

それから「35段」
 悪筆でも手紙を書きまくるのは良い事だ。という記述には
 悪筆な筆者は、勇気づけられた御言葉でごじゃります。

調子に乗ってきたので、もーちょい続けますです。(ドヤ顔)

さてさて、
作者の兼好法師ですが、
法師だけあって…かどうかは知りませんが、
仏心のススメのようなものや、心穏やかに過ごしたい、とか
欲におぼれてはいけない、ということも書いてます。

一方、
第3段では「色恋に関心がない男はつまらない」と
バッサリ言っている、という
意外に世俗的?なことも書いてます。
かといえば、
「嫁さんはもつものではない」よ
第190段でいっていて、
「いかなる女なりとも、明け暮れ添ひ見んことには、
いと心づきなく、憎かりなん。」
と、何があったの!?と思う記事があったりします。
(…時々彼女?恋人?に会いに行ったり、お泊りするのは良いらしい)

43段では、どことなく上品な家の中で若いイケ面が、
書物を広げて読んでいたのに目を惹かれた。という
日常のふとした話とか。


192段
「神・仏にも、人のまうでぬ日、夜参りたる、よし」
という記述には、
人のいない夜の神社って怖くね?(;゚Д゚)
 と、色々考えながら拝読いたしましたわ。

全体を通して
・物はたくさんもちすぎると見苦しいとか
・時間を大切にしなさい
・「死」というものを意識しながら人生を送りなさい
といった、教えのようなものも勉強になりました。

たしかに
・「家の作りやうは夏をむねとすべし。」(55段)
とか、
・「千本の釈迦念仏は文永の頃に」(228段)
とか
・「花の盛りは冬至より百五十日とも、時正の後、七日とも言へど」(161段)
などという、
どうみてもメモ書き?と思うような記述もあって、読んでいて飽きません。
 
「古典文学」を勉強する必要がなくなった世代の方、
新しい気持ちで「古典」に触れてみると、純水な作品として楽しめるし
新しい発見もあって楽しいと思いますよ。

何より、選択肢やら古典文法を意識しなくてOK、ってのが良い♪



以下、蛇足です。

筆者個人としては、
中世日本では現代に較べて何倍も
怪異・妖異譚が信じられていると思っておりました。
でも、
「当時でも迷信は、やっぱり迷信?」と、思った記述がいくつか。

例えば、
第206段の
「怪しみを見て怪しまざる時は、
 怪しみかへりて破る」と言へり。 
 とか、
第207段の
「『王土にをらん虫、皇居を建てられんに何の祟りをかなすべき。
 鬼神はよこしまなし。咎ぶべからず」
 ~(中略)~
 さらに祟りなかりけり。」
なんて記述もありまして。

(↑内容については後述で)

徒然草は南北朝時代の作品だそうですから、
てっきり、平安時代みたいに
魑魅魍魎・跳梁跋扈がスタンダードな時代かと思いきや
結構滅法、現実的なモノなのだな、と。

いやはや、
改めて時代認識を改めてしまった筆者なのでした。
(まぁ、平安時代以前の人も現実主義的だった筈。とは思いますが…)


メモ:)

第206段は
 牛車の牛が建物の中に入りこんでしまった話。
 重大なか変異だ、牛を陰陽師に送り届けろと騒ぎになったが、
 当時の太政大臣実基公が「牛に分別はない(中略)」と言って
 そのまま牛を持ち主に帰し、牛が横たわっていた畳を取り換えた。
 結果的に、少しも不吉なことはなかった。という話。
「奇怪なことを見ても奇怪だと思わなければ奇怪なことは消えてしまう」という結び。

第207段は
 亀山殿を建てようと、敷地の地ならしをしたところ、
 大きな蛇が無数に固まっている塚があった。
「この土地の神だ」と報告をしたら、「どうしたらよいか」と尋ねられたので
「古くからこの土地に住んでいたものならば、無闇に捨てることができません」
 と、人々が申し上げたところ、
 実基公が「我が君が治められる国土に棲む虫が、我が君のお住まいを建てるのに
 どんな祟りをするものか。鬼神は邪道なことはしない。
 だから咎め立ててすることはない(中略)」と、
 塚を壊して中の蛇を大堰川に流してしまった。でも、何もなかった。という話。

 …何も蛇さん川に捨てなくても…(´・ω・`)
 と、思った読者がここに1名、居たとか居なかったとか……


最近も自己啓発書や実用書でも推薦されたり、
紹介されたりしてますが、
先人の知恵本としても本当に勉強になりました。

…次はこれが身に着くようになれば…… 

……ちょっと黄昏てきまふ……




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